Article: リンドウの形を見ていた日
リンドウの形を見ていた日
リンドウの形を見ていた日
リンドウの木型を作っていたあいだ、ずっと見ていたのは、花の形そのものというよりも、そのまわりにある気配のようなものでした。
揺れているわけではないのに、どこか揺れて見えること。
風が吹いているわけではないのに、風の気配を感じること。
そんな曖昧なものを、木の中に少しだけ残せたらと思いながら、線を見て、形を見て、また少し手を止めていました。
リンドウという花のこと
リンドウは、昔から好きな花のひとつです。
けれど、私の中では、お彼岸の時期や仏花の印象と結びつくことも多く、どこか少し距離のある花でもありました。
そんなリンドウをあらためて意識したのは、山形を訪れたときのことです。
駅で、山形がリンドウの産地として知られていることを見かけて、そのとき耳にしていた音楽のことも重なって、この花のことがいつもより深く心に残りました。
花の記憶と、その場の空気と、流れていた時間。
そういうものが少しずつ混ざりながら、今回の形の入口ができていったように思います。
形が見えてくるまで
植物を見ながら形を考えていると、自分でも想像していなかった輪郭に出会うことがあります。
今回のリンドウも、最初からきれいに答えがあったわけではありませんでした。
線を見て、少し形を追いかけて、また戻って、しばらく眺めているうちに、「このあたりかもしれない」と思えるものが、ゆっくり見えてきたような気がします。
自分で作っていながら、不思議だなと思う部分が残っていました。
でも、その説明しきれなさが、かえってこの花らしさになっているようにも思えました。
風の気配を残したくて
今回、形にするときにずっと気になっていたのは、風のようなものを感じられるかどうかでした。
まっすぐ整った形にも惹かれるのですが、今回はそれだけでは少し足りない気がしていました。
止まっているのに、どこか動いて見えること。
静かなのに、わずかに流れがあるように感じること。
そういう曖昧な気配を、ほんの少しでも木の中に残せたらと思っていました。
線の取り方や、曲線の入れ方を考えながら、わずかな揺らぎのようなものを残していきました。
見る人によっては気づかれないくらい小さな違いかもしれませんが、そういうところにこそ、そのときの気持ちがよく表れる気がしています。
木型を作る時間
私は、完成したものだけではなく、その手前にある木型を作る時間にも、いつも強く惹かれています。
木型は、ひとつの作品のためだけのものではなく、その先に広がっていく可能性の入口でもあるように思うからです。
こういう形もできるかもしれない、別のものにもつながるかもしれないと考えている時間が、私はとても好きです。
ひとつの花を形にしていくことは、完成品を作ることでもあり、これから先の表現の種を残すことでもある。
今回のリンドウを作りながら、そんなことをあらためて思っていました。
作ったあとにも続いていくこと
作品は、完成したところで終わるわけではないのだと思います。
作っているあいだには見えていなかったことが、少し時間が経ってから見えてくることもあります。
写真に撮ってみて気づくこともあるし、別の場所で見返したときに、最初とは違う印象になることもあります。
今回のリンドウも、ここで完結というよりは、これからもう少しこの花と付き合いながら、ゆっくり自分の中で育っていくような気がしています。
おわりに
リンドウの木型を作っていた時間は、花の姿を写し取るだけの時間ではありませんでした。
風の気配を探したり、線の揺らぎを眺めたり、植物が持っている不思議さをどう受け取るか考えたり。
そういう小さな迷いや発見を重ねながら、少しずつ形にしていく時間でした。
きれいに整えることよりも、言葉にしきれない余韻のようなものを残したい。
今回のリンドウには、そんな気持ちが静かに入っているように思います。
これからまた時間が経って、この形の見え方が少し変わっていくのかもしれません。
それも含めて、もう少しこの花のことを見ていたいと思っています。
