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Article: 桔梗を見て、手を動かした日

桔梗を見て、手を動かした日

毎年、桔梗の季節が来ると、私は少しそわそわします。

咲いた花の凛とした姿も好きだし、
ふっくらした蕾の、まだ何かを抱えているような感じも好きです。
そして、咲き終わったあとの姿にも、いつも目が留まります。

一つの鉢の中に、今の姿と、これからの姿と、役目を終えた姿が一緒にある。
桔梗を見ていると、ただきれいだなと思うだけじゃなくて、毎回少しずつ、何かを教えてもらっている気がします。

桔梗って、ただ“和の花”ではない

桔梗というと、家紋にも使われるくらい、昔から親しまれてきた花です。
漢字の佇まいもきれいで、日本の花、という印象を持つ方も多いと思います。

でも、私の中では、桔梗はそれだけではありませんでした。

夜に見ても花を閉じず、ぴんと咲いている姿。
ベランダで風に揺れている様子。
それを見ていると、星みたいだなと思ったり、誰かと手を取り合って踊っているみたいだなと思ったり。
どこか幻想的で、やわらかくて、少しだけ夢のある花だと感じています。

形にしたいと思ったのは、蕾のかわいさから

私が特に好きなのは、桔梗の蕾です。

ぷっくりとしていて、小さな袋の中に夢がぎゅっと詰まっているみたいで、見つけるたびにうれしくなります。
花が咲いている姿はもちろんきれいだけれど、蕾には、これから開いていく時間ごと宿っている気がします。

今咲いている花、これから開く蕾、咲き終わった花。
その全部が同じ場所にあることが、桔梗の好きなところです。
だから今回のデザインにも、ただ花の形を写すだけではなくて、そんな時間の重なりを少しでも忍ばせられたらと思っていました。

星のように、ワルツのように

桔梗の花を見ていると、私にはときどき、星のようにも見えます。
ひらいた花びらの形が、空にある光をそのまま地上へ置いたみたいで。

それからもうひとつ、ずっと思っていたのは、踊っているみたいだということでした。
手を取り合って、静かにワルツを踊っているような。
そんなふうに見えた感覚が、今回の桔梗の形を作るときの芯になりました。

“和”という言葉だけでは収まらない、少しエレガントで、少し幻想的な空気。
その気配を、木の中にどう残せるだろうと考えながら、線を引いていきました。

図面にすると、気持ちが少しだけ整理される

花の印象をそのまま形にできたら一番いいのですが、実際には、そこから少しずつ整理していく時間が必要です。

あの線は残したい、でもここは削ったほうが軽やかかもしれない。
かわいさはほしい、でも甘くなりすぎたくはない。
桔梗らしさを保ちながら、私が感じた“星”や“踊る感じ”も入れたい。

そうやって考えながら図面に向かっていると、最初はふわっとしていた気持ちが、少しずつ形の言葉に変わっていきます。
物作りは、手を動かしながら自分の感じたことを確かめていく作業でもあるのだと思います。

木の形になると、季節を持ち歩ける気がする

できあがった桔梗の形を見たとき、やっと今年の桔梗に返事ができたような気持ちになりました。

花は季節が過ぎれば、また次の一年を待つことになります。
でも、木の形にしておくと、その季節の気配を少しだけ手元に残しておける。
そんなところが、私は木型キーホルダーの好きなところです。

大げさなことではなくて、鞄につけたときや、机の上に置いたときに、ああ今年も桔梗が咲いたな、と思い出せるくらいの距離感。
そのささやかさが、私にはちょうどいいのです。

木型キーホルダーは、私にとって物作りの始まり

私にとって、木型キーホルダーのデザインを作る時間は、いつも物作りの始まりです。

ここから誰かと花の話ができたり、写真を見せてもらったり、知らなかったことを教えてもらったりして、少しずつその花との関係が深まっていきます。
そうして積み重なった時間が、次の形につながっていくのだと思います。

いつか、型として広がって、アロマストーンになったり、ワークショップで楽しんでもらえたり、もっと別の形にも育っていくかもしれません。

さらにその先では、食べられるものにもできたらいいな、と夢みたいなことも考えています。
桔梗のラムネとか、花の形のお菓子とか。
まだ先の話ですが、そんな想像まで含めて、私の物作りは進んでいきます。

また今年も、この花に会えた

毎年同じように見えても、その年ごとに見え方は少しずつ違います。
今年の私は、桔梗を見て、星のようだと思い、ワルツのようだと思い、蕾のかわいさに何度も立ち止まりました。

そうやって心が動いたことを、そのまま手を動かす理由にできるのは、とてもありがたいことだと思っています。

また来年も、桔梗に会えますように。
そしてそのときの私は、今年とはまた少し違う形を見つけるのだと思います。