カーネーションを、ありがとうだけで終わらせたくなかった
カーネーションという花を見ると、どうしても最初に「母の日」が頭に浮かびます。
それくらい、この花は強く役割を持った花なのだと思います。
ありがとう、という言葉と一緒に並べられて、毎年たくさんの人の手を渡っていく花。
でも私は、あるときから、その分かりやすさだけでは見られなくなりました。
贈る花としてではなく、もっと個人的な花として、気になりはじめたのです。

二年目に咲いた花は、少し違って見えた
秋冬に枯れて、植木鉢だけが残っているのを見ると、少しさみしい気持ちになります。
けれど、その鉢を越冬させて、また春に咲いたカーネーションを見たとき、私は思っていた以上にその花を好きになっていました。
一度終わったと思ったものが、またちゃんと季節の中で戻ってくる。そのことに、思いのほか心を動かされたのだと思います。
それ以来、カーネーションは「誰かに贈るための花」というだけではなく、
自分でも持っていたい花、自分の近くに置いておきたい花になりました。
定番の花だからこそ、別の見方をしてみたかった
母の日のカーネーションは、すでに完成された贈り物のようにも見えます。
だからこそ、その外側にある可能性を少し考えてみたくなりました。
花を贈るだけでなく、その花からアクセサリーが生まれたり、お菓子になったり、あるいは誰かが手作りしたものを贈るきっかけになったり。
木型を作ることは、そういう遠回りのような広がりを持てるのではないかと思っています。
カーネーションは、すでにたくさんの笑顔と結びついている花です。
ならば私は、その花を別のかたちで受け渡すことができないか、考えてみたくなりました。


花びらを見ていたら、文字みたいだと思った
カーネーションの花びらは、やわらかく波打っていて、ふわっとしているのに、重なり方にはちゃんと法則があります。
今回のデザインでは、その花びらの重なりを見ながら、どこか文字のようでもある形を考えていました。
母の日の花だから、Mの文字を重ねていくような感覚もどこかにありました。
ただ可愛くするだけではなく、木として成立すること。
押したときに模様がきれいに出ること。
その両方を考えながら、少しずつ花びらのバランスを整えていきました。
ありがとうの外側にある気持ち
「ありがとう」という言葉は、まっすぐで、きれいです。
でも本当は、その言葉のまわりにもっといろいろな気持ちがあるのだと思います。
照れくささとか、遅れてしまった時間とか、何を贈ればいいか迷う感じとか、渡したあとに鉢が残っていく寂しさとか。
カーネーションには、そういう少し言葉にしづらいものも一緒に乗っている気がします。
だから私は、この花をただ記号として扱うのではなく、少し生活の側に引き寄せて見ていたかったのだと思います。


木になると、花は少し長くそばにいてくれる
本物の花は、きれいなままずっとは残りません。
でも木の形にすると、季節が過ぎたあとも、少しだけ手元に気配が残ります。
母の日のための花だったものが、だんだんひとつの個人的な記憶になっていく。
そんな時間の変化まで含めて、今回のカーネーションには残せたらいいなと思いました。
ありがとう、だけで終わらない花として、今年はカーネーションを作りました。
