朝顔は、花より先にタネのことを思いたくなる
朝顔を作ろうと思ったとき、私は花そのものより先に、タネのことを考えていました。
芽が出たこと。
タネを採ったこと。
毎年また会えること。
朝顔の思い出には、花だけでなく、いつもタネが一緒にある気がします。


まだ見ていない花を、想像する時間
今回モチーフにしたのは、朝顔の「團十郎」という品種です。
入谷朝顔市で見かけて以来、ずっと頭の片隅に残っていた花。
海老色の大輪で、少し渋くて、大人っぽい。
けれど私は、まだその花をじっくり見たわけではなくて、まずはタネを手に入れて、そこからイメージをふくらませていました。
この小さな粒の中に、あの色も形も、全部しまわれているのだと思うと、不思議で、少し愛おしい気持ちになります。


線から生まれる花
朝顔の図案を描くとき、参考にしたガイドの線も、そのままデザインの一部に入れました。
花は、ただ輪郭だけをなぞっても、その花にならないことがあります。
どんな線から生まれてきたか、その成り立ちまで残した方が、その花らしい気がしました。
江戸の人たちが夢中になった、朝顔の粋な色とかたち。
その遠い熱の続きを、今の手で少しだけなぞるような気持ちで考えていました。

命を持ち歩くための、タネホルダー
今回の木型キーホルダーには、朝顔のタネを収納できる溝と枠をつくりました。
ただ花の模様があるだけではなく、実際にタネがそこにあることで、このキーホルダーはちゃんと朝顔になります。
桜の木の質感と、タネの硬さや温度の違い。
それに触れると、ただの素材ではなく、命の気配を持っている感じがして、なんだか平和だなと思いました。
タネを持ち歩く。
どこかでこぼれ落ちて、もしそこで花が咲いたら、それはその場所を通った証みたいで、少し素敵です。

子どもの花、だけではない朝顔
朝顔というと、どうしても子どもの頃の花、夏休みの花、という印象があります。
でも、團十郎のような品種を知ると、朝顔はもっと奥行きのある花に見えてきます。
季節感も、清涼感もあって、江戸の人が夢中になった理由も、少しわかる気がします。
今年の7月は、そんな朝顔の文化や命の気配ごと、木の形に残したいと思いました。


