福寿草を見ると、まだ見えていない一年のことを思う
福寿草のことを思うと、私はいつも、まだ始まったばかりの一年のことを考えます。
にぎやかな花、というより、静かな花です。
でもその静けさの中に、これから何かが始まる気配がちゃんと入っている気がします。
お正月や年始の言葉には、少しだけ背筋がのびる感じがありますが、福寿草にはそれとはまた違う、もう少し土に近いところからやってくる希望があるように思います。

福を配る、という言葉が先にあった
今回の福寿草は、花の形そのものから始まったというより、先に気持ちのほうがありました。
一年お世話になった方へ、年始のご挨拶として、なにか少しでもワクワクするものをお渡ししたい。
木型を通して、福をお配りできたら。そんな言葉が、自然と頭に浮かびました。
福寿草という名前には、それだけで少し明るい響きがあります。
縁起がよいから選んだ、というより、その名前に背中を押してもらった感じに近かったのかもしれません。


毎年、山の入り口で会う蕾
福寿草の思い出をたどると、私の中には毎年の風景があります。
年始に登りに行く山の入り口あたりで、福寿草の蕾が、土からちょこんと顔を出しているのです。
まだ咲いていないのに、見つけるとうれしい。むしろ、咲く前だからこそ、その先をたくさん想像してしまうのかもしれません。
一年のはじまりも、少し似ている気がします。
これから何が起こるのかはまだ分からない。うれしいことも、不安なことも、まだ全部土の中にある。
でも、それを思うと少しワクワクする。その感じを、私は福寿草の蕾を見るたびに思い出します。
咲いた姿より、咲く前の時間に惹かれる
花は咲くときれいです。けれど、福寿草に関しては、私は蕾の時間にもとても惹かれます。
花が開いた未来を想像できること。
まだ見えていないのに、その先を信じられること。
それはたぶん、ものづくりの時間にも近いのだと思います。
木を前にして、まだ形になっていないものを考えるとき、完成は見えていなくても、なんとなくこの先に咲くものを信じています。
福寿草は、その感覚を思い出させてくれる花でした。
幸せでありますように、を木に残す
今回の木型には、強すぎないけれど、ちゃんと届いてほしい願いを込めました。
固すぎず、でも軽すぎず。
新しい年が、少しでもうれしい方向へ向かいますように。
手に取った人の毎日の中に、小さくても明るいことがありますように。
そういう気持ちは、声にすると少し照れくさいけれど、木に刻むと、ちょうどよく残せる気がします。

今年のはじまりは、そんな気持ちで福寿草を作りました。
