記事: スズランの形に、ようやく出会えた日
スズランの形に、ようやく出会えた日
スズランは、小さくて、可愛くて、でも形にしようとすると、とても難しい花でした。
ただ可愛い、だけでは言い切れないところがあります。
鈴のように丸くて、でも真ん丸ではなくて、
やわらかいのに、どこか整っていて、見れば見るほど不思議な花だなと思います。
ずっと気になっていたのに、なかなか私の中で形にならなくて、
今年ようやく、これでいいかもしれないと思えるスズランに出会えました。

ようやく出会えた形
花が咲くたびに、きれいだな、作りたいな、と思っていたのですが、
スズランは私にとって、見ているだけと、作ることのあいだが遠い花でした。
小さいから簡単そうに見えるのに、
その小ささの中に、ちゃんと独特の表情が詰まっています。
だからこそ、曖昧にしてしまうと、急にスズランではなくなってしまう気がしていました。
それでも今年は、待っていた分だけ、少し感動も大きくて、
この花が咲いているうちに、私なりの形を見つけたいと思いました。
美しいものには、見えない法則がある気がする
世の中には、なんでこんなに美しいんだろうと思う造形があります。
たぶん人の目には見えないだけで、
どこかに円弧や線の流れのような法則があって、
それに沿って形が成り立っているのだと思います。
スズランを見ていても、そんなことを考えました。
ただ丸いのではなくて、ただ下がっているのでもなくて、
いくつかの線が交わったところに、あの可愛さが生まれている気がしたのです。

横から見た花と、下から見た花
今回のスズランは、ひとつの角度だけでは作れませんでした。
横から見たときの、少しうつむくような形。
下から見たときの、鈴みたいにひらく形。
どちらもスズランらしくて、どちらか片方だけにしてしまうと、少し足りない気がしました。
だから今回は、その二つのアングルが頭の中で重なるところを探しながら、線を引いていきました。
似ているのか、似ていないのか、最後まで少し分からないままだったのですが、
それでも、なんだか好きだと思える形になりました。
二次元では見えても、立体にすると急に難しくなる
図面の上ではよさそうに見えても、木型という立体にしようとすると、急に難しくなることがあります。
スズランはまさにそうでした。
小さい花だからこそ、ほんの少しの線の違いで印象が変わってしまいます。
咲いているうちに形にしたい、でもまだしっくりこない。
そんな焦りと迷いのあいだで、何度も立ち止まりました。



小さくしたら、急に見えてきた
でもあるとき、本物のスズランみたいに、思いきって小さくしてみたら、急にイメージが固まりました。
それまでは、可愛さを説明しようとしていたのかもしれません。
けれど、サイズがぐっと小さくなったことで、理屈より先に、ああこれだ、という感覚が来ました。
小さな魔法にかかったみたいに、急に全部がつながった夜でした。

理由なく可愛い、をそのまま残したかった
スズランの魅力は、うまく言葉で説明しきれないところにもあると思います。
理由なく可愛い。
ただ見ているだけで、少し気持ちがやわらぐ。
そういう花の感じを、あまり説明しすぎずに残したいと思いました。
木の線の中に、その丸みや、うつむき方や、小さな鈴の気配を閉じ込められたらいいなと思いながら、形を整えていきました。

花が散る前に、外で写真が撮れた
できあがったあと、本物のスズランが散る前に、外で一緒に写真を撮りたくて、なんとか間に合いました。
本物の花の前に持っていくと、似せようとして作ったというより、
あのとき心の中に残ったものを、木に写したのだという感じがします。
私の頭の中のど真ん中にあったスズラン。
その気配が、ちゃんとここに残っていたらうれしいです。
小さな花の季節を、少しだけ手元に
季節の花は、その時期を過ぎると、また来年まで会えません。
でも、木の形にしておくと、そのときの気持ちを少しだけ持っていられる気がします。
鞄につけたとき、机の上で目に入ったとき、
ああ、あのスズランの季節だったなと思い出せるくらいで十分です。
小さな花の、小さな可愛さを、
そのまま手元に残せるようなものになっていたらいいなと思っています。



