アヤメと気づいた日から、形が見えはじめた
5月が近づくと、頭のどこかでずっと気になりはじめる花があります。
菖蒲です。
端午の節句の空気や、菖蒲湯のことや、少ししゃんとした季節の気配まで一緒に連れてくるような花。
でも、何年か前に道の駅で買って育てていたその花は、咲いてみたら菖蒲ではなく、アヤメでした。
葉っぱが細いな、とは思っていたのです。けれど、花びらの網目模様を見たときに、ああこれはアヤメだったんだ、とようやく気づきました。

思い違いから始まることもある
そのときはいささか拍子抜けもしました。
菖蒲湯に入れたいと思っていたのに、育てていたのはアヤメだったからです。
けれど、間違っていたから終わり、ではなくて、間違っていたからこそ残る形もあるのだと思います。
気づいたあとも、その花のことはずっと頭のどこかに残っていました。
5月の新作を考える頃になって、私はまたその花を思い出しました。
アヤメでいくか、ショウブでいくか。決めきれないまま、気持ちだけが宙に浮いていた時期がありました。
点だったものが、一本の線になるまで
そんなとき、私の中にあったいくつかの記憶が、急につながりました。
アヤメの花びらにある網目模様。
浅草神社の印象。
網にまつわる土地の記憶。
祭りの前の、少し張りつめた気分。
ばらばらだったものが、一本の線みたいにまとまった瞬間がありました。
ああ、これなら作れるかもしれない。そう思えたのです。



花びらではなく、線を見ていた
花をそのまま写すのではなくて、私はその花の中に流れている線を見たかったのだと思います。
アヤメの美しさは、色だけではなく、花びらの中に潜んでいる規則や重なりにもある気がします。
網目模様のようにも見えるその気配を、木の中にどう残せるか。そこが今回いちばん手を動かしたところでした。
考えて、引いて、消して、また整えて。
そうやって少しずつ、花の形ではなく、花の気配のほうへ近づいていきました。



木になると、少し違う季節になる
花は咲いて、過ぎていきます。
でも、木の形になると、季節は少しだけ長くそこにいてくれる気がします。
掌の中におさまる大きさになっても、アヤメの線の強さや、5月の空気の張りつめ方は、ちゃんと残っていてほしい。
そんな気持ちで仕上げました。
思い違いから始まった花でしたが、だからこそ生まれた形でもあります。
まっすぐ進まなかったことにも、ちゃんと意味があったのだと思います。

失敗や勘違いや、少し遠回りした時間まで含めて、ものづくりの中には残っていくものがあるのだと思います。
今年の5月は、そんなふうにしてアヤメを作りました。




